あくまでも戦うことを主張した近藤勇は、会津へ逃げる途中でたまたま滞在した醸造家「長岡屋」で新政府軍に包囲され、町を戦禍から救うために土方歳三の制止を聞かずに自首をした。
これはすべて、結果から語られた創作だった。
新選組の流山本陣は「鴻池」、甲州戦争前後の移動経路詳細や、五兵衛新田金子家への旧新選組の屯集開始を3月14日と特定するなど、最新説での決定版。
上椚田村の位置を誤解しており、上記が正しい地図になりますが、近藤らの軍資金や人的支援の依頼については変わりありません。(P38)
「翌日は甲州道中を進まずに、南方の上椚田村へ回り」という部分を、「翌日は甲州道中を上椚打村から」に変更となります。(P39-L9)
土方が甲州~江戸に戻った件で、物理的に有り得ないという自説で、当事者の記述を否定している方がいます。拙著では講演等でも解説の通り、訂正すべき部分はありません。(P44)
土方の江戸行きの目的は「菜葉隊」に援軍を求めるためと諸史料に記述されているのは事実です。ただし、この時点で「菜葉隊」は存在せず、実の目的は未確定です。(P44)
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